1024 謝り合う私たち
お誕生日翌日の23日。
怒りが落ち着いた私は調子に乗って励ましの言葉を贈った。
読んでいた書籍に「妻であることもママであることも君の存在価値ではない」という病んだ奥さんをいたわるフレーズがあって、素敵だなと思ったから真似したくなった。
ただ存在しているだけで十分なのだという意味の言葉なんだなぁと咀嚼した上で、好きな曲の歌詞に同じニュアンスのものがあったことを思い出し、歌詞と動画を添えて送った。
しかし既読はつかず、興味を示されない。
そんな中で誕生日のことを振り返るブログを執筆していたら、冷静に自分の横暴さを俯瞰することになって急にいたたまれなくなってきた。
「追いつめておきながら理解したフリして励ますとは何事か」と己の愚かさに恥ずかしさを覚えた。
私は彼の気持ちを何も分かってあげられていない。
的外れもいいところ。
こんなことを言ったって素直に受け取れなくて当たり前だ。
もう通知である程度内容は察してしまっただろうけど、送信取り消し処理をした。
罪悪感が膨れ上がっていく。
申し訳ない。
私の圧が怖かったであろう鬱の感覚を想像しながら、それでも既読を付けて何か言葉を送ろうとしてくれていた彼に憤っていた私は本当に自分勝手で我儘だと思った。
「怖かったよね。ごめんね。」
伝えてどうなるわけではないことは分かりながらも今改めて謝らずにいられなかった。
謝罪の気持ちでいっぱいになっていた。
そう、誕生日当日は既読がつくのが早かった。
返事は送られてこないのに既読だけつくのは異例のことで「通知マークが心苦しいから開封して消す作戦」に変えたのかと思ったけど、翌日になったらまた未読無視モードに戻った。
昨日のそれは「何か返そうと頑張っていた表れ」なのだと悟る。
その前に送られてきた彼からの言葉は「誕生日ちゃんと祝ってあげれなくてごめん」だった。
謝り合うカップルしんどいな。
お互いに心から罪悪感でいっぱいで、自責しながら謝っている関係。
その日のうちに既読がつくことはなかったけど、通知で読んで彼も心苦しく思っているだろう。
負の連鎖はどうしたら止められるのか。