まっすぐな視線

鬱彼氏とのお付き合い日記

0422 聖地巡礼

思い出の場所の殆どは私の自宅付近と彼の職場付近。

地元駅から自宅までの道のりもコンビニもスーパーも家の中も私にとっては愛しい思い出に溢れている。

今日は友人の付き合いで行った場所が彼の職場付近だった。

じんわりと刺激されるなぁとその土地の空気を吸いながら懐かしく思っていたのだけど、連れられてお茶に入ったビルがドンピシャで彼の元職場がテナントとして在する商業施設だった。

 

彼の仕事終わりでの待ち合わせはお店から少し離れた場所を指定されていて、駅からくる私が行きやすく彼の職場の人になるべく遭遇しないようにという某大型店の前。

今日もそこを横目に歩いたので近くだろうと察してはいたけど、唐突に目の前に現れた時の衝撃と言ったら。

店名は聞いていて、看板が分かりやすく出ている店構えだったので一目でハッとした。

知り得る場所を懐かしむのと突然の新情報では威力が違う。

彼がまだ働いているなんて私に嘘つくわけないのに店員の顔を確認するように覗き込んでしまった。

友人にバレたくなくて殆どしっかり見ることは出来なかったけど彼はいない。

ホッとするような気持ちで、もっと見たがる目をそっとつま先の方角へ戻す。

 

何とも言い難い感情ではあったけれど、恐らく1番大きな割合を占めるのはきっと喜びだった。

彼を鬱に追い込んだ憎き場所憎き人たちではあるものの、飢えている私には彼の情報は些細であろうと欲しくてたまらなくて、その片鱗に触れられたような感覚。

トイレに行く為に立ち寄った階で、お店とトイレの間には喫煙ルームがあった。

どちらも彼のテリトリーだったのかな、仕事終わりってきっと一服したかった筈なのにタバコ臭かったことないな、急いで来てくれたんだろうな、吸ってからでいいよって言ってあげたらよかったな、とそんな想像さえ心がもぞもぞする。

 

ウエイターの制服がパンツスタイルであることに気付いて、そんな会話をしたことも思い出した。

ふりふりした服を好むことは最初に主張済みだったけど普段着どんななのか気になるって初デート前に聞かれて、ズボンはかないよって言ったら「仕事柄同業はみんなズボンやからスカートって新鮮😊」と言っていた。

なんてことない情報の答え合わせをしていけるのってちょっといいよね。

色んなことが揺らぎそうで何もかもが不安定な今、確かだったと感じられることや、楽しい回想を呼び起こしてくれるものは切ないけれどプラスになる。

 

私は仕事全然好きじゃないし向上心もないし、遊んで生活する為に安定した職を仕方なくこなしてたけど、彼は根っから料理が好きで教室開いて人に教えるのも好きで、仕事の楽しさ沢山話してくれた。

病んでから愚痴増えたけど、それでも目を輝かせて楽しかったこと話してくれて、天職だったんだなぁ🧑‍🍳

仕事自体を大好きだった人にとって人間関係の圧で働けなくなったのって没頭してた趣味を潰されたも同然なんだろな。

根っからの仕事人間だったから常に仕事のこと(と私のこと)で頭いっぱいだったし、私が休職してるのと別物なんだろう。

「俺には何もなくなった」って表現の重みを改めて感じる。

 

懐かしくなって当時のLINEを読み返してみたら改めて彼の言葉選びがすごく素敵で、こちらが言ったことに直球で「そうだね」「そんなことないよ」と言わず、違う角度から褒めるのが上手だなと思った。

さすが京都人と言うか、直球な私の思考回路にない発想力に改めて惚れ直したりして。

思えば病んでからの彼の「会いたい」もそうだなぁと気付く。

 

話せることなら彼に今日のことを報告したいけど、なんせ事故現場のようなものだし自分のいない時にテリトリーへ侵入されることを快く思わないだろうからそっと飲み込むことにして、一緒にいた友人がリアクションに困ることを分かって少しだけ聞いて貰った。

 

彼専用垢への呟きは月初で止まったまま。

3/28から始めて4/9までにややハイペースに8投稿したけれど、見てる気配を実感出来ない中、いくつか削除した。

今はどんな言葉もネガティブにしか響かないのだろうなと感覚が追い付いてきて、私の近況に何の意味があろうかと何も伝える気が起きなくなってしまったから。

私の話を聞いて欲しい、声をかけたい、という欲が高まった時には重宝するツールになっていたけど、何も話しかけたい言葉が思い浮かばなくなっていた。

聞いてくれる姿勢なら何でも話題を見つけ出すけれど。

 

でも今日久しぶりに職場訪問を「伝えてはいけない」と意識したことで逆に話しかけたい気持ちが少し復活して、一切関係のない平和すぎる一言を画像付きでポンと呟いてみた。

先日食べた食事に入っていたにんじんの形が可愛かったというだけの形状の名称。

もしかしたら今LINEでこれを送ったら既読になるのかもしれないけれど、彼の誕生日までは日を開けると決めたんだから我慢しよう。

「このくらいなら平気かも」は何度も失敗してきているもの。

 

お誕生日に賭けるんだ。

でもそれもまた「誕生日祝いくらいお礼返ってくる筈」と期待してしまっているから、それすら叶わず絶望することもあるのかもしれない。

 

ただ、もしにんじんツイを見ていたらここしばらく音沙汰がなかった私の気持ちは見放したわけではない安心感を受け取って欲しいし、お誕生日のお祝いもそういうものになって欲しい。

今まで「すぐに既読つかなかったらこの件はもう捨て案件」で数日置いてまた連絡しなきゃどうせ向こうからは何もこないって決めつけていたけど、最近は少しずつ「彼が連絡したいと思った時に連絡がくるんじゃないか」って待つ姿勢を持とうと努力している。