まっすぐな視線

鬱彼氏とのお付き合い日記

1022 怒りと赦しの誕生日

期待していた日付変更線のお祝いはなかった。

「たった一言のおめでとうがなぜ送れないのか」という疑問は湧かない。

よしよしのスタンプが送れない彼は、他のことも考えた上で期待に沿ったことを完璧に叶えてあげられない敗北感と罪悪感の方が上回っているのだろう。

自力で乗り越えてくれることを祈りながら「頑張れ、頑張れ」と心の中でそっとエールを送る。

 

Twitterで繋がっているたくさんの友人たちからのお祝いの言葉に1人ずつイラストを添えて返事をすることで、余計なことを考えない時間を過ごした。

我ながら良いアイディアだと思ったけれど、寝る前の時点で32人、起きたら56人とかに膨れ上がっていて終わりそうにないなという嬉しい悲鳴。

人付き合いに苦手意識が強い私でもこの界隈ではうまくいっている安心感と、贈られたたくさんの好意を素直に嬉しく思って心が満たされていた。

 

期待はしてなかったけど朝になっても連絡がない。

会うつもりでも当日になってみないと体調が分からないだろうし、典型的なタイプなら朝は1番具合悪いだろうしね。

会えるのならば夕方でも夜でも何でもよかったけど、いつまで無連絡で待機するのが正解だろうか。

 

しかし日付変更線のお祝いが出来ない時点でお察しなのだ。

積極性も会いたさもないことを本当は分かっていた。

私の希望の為だけに「応えてあげないといけない」「出来ない」に苦しんでいる。

1人きりで過ごす誕生日の想像と覚悟は何とか出来ていたし、昼まで待って連絡がないのなら解放してあげようと思った。

心のどこかで突然「今家の前まで来てる」みたいなありえないサプライズを想像したりもしたけど、彼はそんなタイプじゃないし、それが出来るエネルギーがないことも分かっている。

 

「でもせめて」という欲がなかなか消せなくて、昼過ぎに電話してもいいかと尋ねた。

「構えるような怖いことは何もないけどお電話しんどいかな?」と書いた時点で、それが恐怖になる可能性を想像出来るのに無理強いをしようとする私。

すぐに既読はつかなかったけど、眠りから覚めたら、もしくは気持ちが落ち着いたら連絡がくるであろう状況を作った。

 

それは2時間後にきた。

「ハッピーバースデーいちご ごめん今病院なんだ」

 

少ない文字数から想像した状況に私は怒りが込み上げてきてしまった。

病院がメンタル系のものであるならば事前予約が必要な筈で、もう何日も前からこの日に診察を受けに行く予定を立てていたということになる。

無理だろうとは分かっていたけど、昼からインパして予約しているレストランでビュッフェを楽しむ約束をしてたよね。

それ断られてもいないよね?

病院とデートのハシゴは可能にしても、最初から会う気が全くなかったことを突きつけられたような気になった。

もっと早くに決まってたのになんで今言うの?

 

「同じ会えないでも状況説明してくれたら理解に努めるから全然違うんだよ」

「分かった、頑張ってみる」

…この次の会話がこれってどういうことなの?

 

電話の誘いに即答で「今病院」ならばまだしも2時間後の時差の無意味さ。

2時間前ならきっと家にいたよね?

時間都合の問題ならば病院終わったら電話出来るよね?

あまりのショックに文面通りの無駄な解釈に反論と攻撃欲求が次々沸き上がる。

必死に考えたであろう苦しい言い訳を素直には受け取れない。

 

幸い友人とLINEで文字のやりとり中だったから、リアルタイムで怒りを受け止めて貰えた。

友人は呆れかえって「怒って当然だし私なら投げ出す」と言う。

投げ出すつもりはないものの、自分でもどうしようもないくらい怒りがおさまらない。

今までは「弱って苦しそうで身動きが取れない彼」だったから同情出来たけど「他のことを優先する行動力はあるのに連絡すらせず私を疎む彼」のどこに同情出来ようか。

あんなに頑張って献身的に優しく接してきたのにこの仕打ちは何なの?

 

早口で責め立てたい気持ちをじっと抑え、精一杯の我慢で「説明が足りなくてちょっと理解が追い付かないよ…」と返事をした。

お祝いにお礼を言う気力がないのは許して欲しい。

 

夕方には既読がついた。

でも何も説明してくれない。

思考を止めたくて少し昼寝をした。

目が覚めて確認したスマホの通知は私を心配する友人からの「何か連絡あった?」だけだった。

 

勢いで彼に電話をする。

彼のアイコンが画面いっぱいに表示され、楽しかった通話を思い出しながら「応答がありませんでした」と自動的に切断されるまで鳴らした。

鬼電したいくらいの悔しさと悲しさは収まらなかったけど、そこに何も効果がないことは分かっているからそっと画面を閉じる。

電話越しに喧嘩するつもりも責めるつもりもなかったから出来うる限りの優しい口調で様子を伺おうと思ってはいたけど、刺々しいものを完全に隠せなかったかもしれないから出なくて良かったのかもしれない。

先日の突撃前と同じように電話には出れないけど「あとでLINEします!」って展開を少し期待した。

 

現状を整理して怒りを鎮める努力をする。

「相手の気持ちを考えられなくて身勝手になるのも鬱の症状」と友人は言う。

そこまで踏まえてこちらが立ち廻らないと全て正面から受け止めていたらもたないと。

でも違う。

こんなにショックなのは、言葉通りの「外的要因に憚られているけど可能ならば会いたい」だと過信していたからだ。

彼は会いたくなかったんだという事実にようやくちゃんと向き合った。

分かっていても認められずにいたことだった。

会わないことを許して欲しいという意味であろう「ごめん」があったのに、明確に遮断されなかったからって私は諦めず彼のSOSを無視していた。

 

会いたくない=嫌いとか愛情がないわけではなくて、彼なりに心の中で私を好きな気持ちはあって大切に想っているけれど具体的に現実として何時に待ち合わせてどこで会って相手の顔を見てお喋りして…というものは異次元にあるんだと思う。

幼女が「いつか結婚して優しいお母さんになりたい」と思ったとしても妊活に苦戦したり出産の痛みや育児のしんどさへの覚悟が同時に沸くわけではないように、ぼんやりとした理想と言うか。

そんな状況で生々しいことを今すぐ実行するよう要求されたら、理想すら萎んでしまうのだろう。

 

そして、側にいるいうことは、命を預かっている自覚も持たなきゃいけない。

私がきつく当たったらそれを引き金に自殺衝動に火をつけてしまう可能性は常に孕んでいる。

ツレがうつになりまして』でも「唯一の絶対的味方に冷たくされて世界が闇一色に急変する」シーンがあった。

自分が鬱の頃に見返した時、あのシーンはとてもリアルで好印象だったのを覚えている。

音もなく今まであったものが総崩れになるような感覚で、照明をつけず服を着たまま無駄に出続けるシャワーにあたる演出が「全てどうでもいい」をとてもよく表現していた。

その先に行動力が伴ったら自殺なのだと思う。

 

上記映画でも「ツレ」は電話が出来なかった。

なんならそれを分かっていた筈の奥さんが投げやり気味に電話を誘導したから「僕は電話は出来ないよ!」と反論した後にツレの心がそっと折れた。

私も鬱だった時、職場の総務部から書類手続きで必要な問い合わせらしき電話がかかってきたけど、なんか怖くて出られなかったことを思い出した。

健康な今の私なら面倒で嫌だとは思っても恐怖はない。

でも外部の人と接触することが物凄く怖くて逃げたい一心だった。

社会人としての自分に切り替えることが出来ない、閉じ籠る殻に近寄らないで欲しいという感覚しかなかったと思う。

休職してお給料を貰っている手前、応じなければいけないことは分かっていたけど向き合えなかった。

きっと、彼もそんな感じなんだろうな…。

 

心境の変化を友達に話しながら整えていると、彼女は私を全肯定してくれた。

「偉いなぁ。気持ちを立て直そうってがんばるいちごちゃんは凄い。私なら信じられなくなって、自分から連絡を閉ざすだろうし、本当に親戚に家にいるのかすら疑って悪い方に考えちゃうよ。いちごちゃん、自分も大事にしてね?」

「いちごちゃんは十分してあげてます」「幸せな彼氏だなぁ」

こうやって褒めてくれる人がいるから私は自分の行動に正しさを見出して自信を持てるんだと思う。

ありがたい。

 

20時頃、彼が私に抱いているであろう恐怖心を払う為の文章を送った。

 

おっけー、今の(彼氏)が対応出来ることの上限把握した!

追い詰めてごめんね。もう怖がらなくて大丈夫だよ。

お誕生日を2人で過ごすことに期待が高くて、(彼氏)からSOS出てるのにせめてこのくらいして欲しいを押し付けちゃったね。

お薬合うといいね💊✨

 

23時頃、彼から謝罪が届いた。

「誕生日ちゃんと祝ってあげれなくてごめん」

 

それは彼が私に言いたかった本当の言葉のように思った。

それが全てでそれ以上でもそれ以下でもなく、それ以外のことは本当は頭になかったから対応出来なかったんだろう。

やっと彼の意図した展開に導いてあげられた気がした。

 

「いつか元気になったら今日の分もお祝いしてもーらお🥳」

あくまでも明るく優しく接する私、頑張ったと思う。

特別な日であるお誕生日がダメならば普通の日はダメで当然なので、この先の期待値は意図して落としていこう。

 

一緒に食べたかったケーキは全部1人で食べた。