まっすぐな視線

鬱彼氏とのお付き合い日記

0317 回想、妄想、花畑。

3日連続で色んな友人と遊びに出かけ、美味しいものを食べて贅沢をした。

今月は2日に1回ペースくらいで豪遊している気がする。

ストレスを感じて美味しいものに走っているというよりは、ただ美味しいものを食べたくて行動した結果ストレス発散になっていた感じ。

 

少し語弊はあるけれど、彼氏のことを忘れて楽しんだ時間もあった。

常に存在感は頭の中にあって口を開けば彼氏の話題を出してしまうんだけど、それが重いものではなくてパンドラ感がなく開け閉め自由になりつつある印象というか。

おかげで友人と過ごす時間は恋愛拒否していた頃のおひとりさまの感覚で、目の前にある話題に割と集中出来るようになってきた。

 

このまま彼の存在は私の中で薄れていく可能性もあるのかな…とか、連絡意欲は湧かないのかな…とか心配したけど、それを少しだけ突き詰めて考えたら妄想が始まって。

次に送ろうと思っているシャンパンの蓋で作った椅子の写真、きっと既読にしてくれるだろう期待と共にきっと無視されるだろう諦めがあるから送る気が起きずにいた。

でももし返事があるとしたらなんて返ってくるだろうか。

 

「上手に出来たね」とか?

そしたらなんて返そう。

「へへへ🥳そうでしょー💓」じゃつまらない?

でももしそんな何のひねりもないやりとりだったとしても、もし現実になるとしたらとても心が躍る気がした。

今回の場合は次に送るものが決まっているからタイミングをいつにするか決めるだけになってしまったから感情が色あせてしまったみたいだけど、彼に対してアクションを起こすことにリアリティを持つと私の心はまだ生きているのだと実感出来た。

 

つい先日も通販で買った服が届いて試着をして気に入って「(彼氏)に着てるとこ見て欲しかったな…」と思ったりはしたけど、それは諦めの思考でしかなくて新しい服を着る未来に彼氏がいない想像だった。

最近きっとそういう発想が多かったんだと思う。

傷付かないように、理解を示して冷静でいられるように、自衛モードを固め過ぎた。

そしたら楽しいことが何もなくなっちゃったんだ。

 

浮かれまくっていたバレンタイン直後、私は確かに回想と妄想に満ち溢れていたおかげで幸せな気持ちに浸っていた。

事実として存在していたのは彼が受け取って「ありがとう」と言ってくれたことだけ。

なのにたくさんの会話を回想し、一緒に過ごす時間を妄想し、側にいるつもりで空気に向かって話しかけて微笑んだ。

そのスイッチを入れてくれた現実があったからこそだけど、夢を見るって楽しいことなんだなって改めて原理を感じた。

 

悲しい時は意図したって夢を見るのは難しいかもしれない。

でも1つテクニックを覚えた私はコントロールが効く時はそうやって「もし返事があったら」を想像してみるのはアリな気がした。