まっすぐな視線

鬱彼氏とのお付き合い日記

1226 虐待の記憶

実家滞在最終日。

 

今日もまた母は2人きりになると彼氏の話を聞き出そうとしてきたので「今日はお話ししたくない」と閉ざした。

これだけしてあげたからこれくらい聞いてもいいっていう対価じゃないのよ。

こっちはもう頑張ったで賞を自分に送って今回の大会は終わってるのに更に競技種目追加された気分。

すごく振り絞って頑張ってお話ししたって理解されず聞けば答えてくれるって解釈されたのも嫌だった。

本音「調子に乗るな」

 

「いつから付き合ってるの?」「どこで知り合ったの?」は想定内で嘘解答も用意していたけど、マッチングアプリで出会って1ヶ月満たずに鬱になって…っていうのは私自身腑に落ちていない自信を持って人に言えないことなので、それを聞かれるのは苦痛。

地雷の可能性が高い質問は好奇心を抑えるが吉。

 

家を出る前の荷造り中、実家に置きっぱなしのもので持って帰りたいものはないかなぁとあちこち物色していたら、ハードカバーの綺麗な日記帳が出てきた。
子供時代にやりどころのない想いを書いたことは表示を見てすぐに思い出した。
もったいなくて使えずにいたのに、たった1日分だけ小さい字でスペース内いっぱいに書き殴った幼き日の虐待の記録。

 

妹と服の所有権や勝手に着た着ないで喧嘩していたところに父が入って来て、謝罪を求めた私に対して妹本人が謝っていないというのに父は謝ったことにして強引に場を鎮めようとした後、父に椅子があたってしまって謝ったのにブチ切れられて首を絞められ何度も殴られたことを「まただよ」と書いてあった。

 

首を絞められたことはよく覚えていて、日常的に暴力を振るわれていたわけではないけど両親のことはずっと大嫌いだった。

お金も時間も情もたくさんかけて貰ったけど、いつも強引で全然寄り添ってくれなくて力尽くでいうことをきかせようと抑圧された意志は両親への殺意として募るばかりだった。

体格が大人に追いついて体力的に親と争えるようになった中学生の反抗期はそれはそれは壮絶で、リビングの椅子を母に投げつけ蹴り続け、倒れて具合悪そうにして初めて殺してしまっただろうかと慌てて駆け寄る

…そんな毎日だったので親だけが悪かったわけじゃない。

 

首を絞められたのはこの日記と別にもう1回あった気がする。

私の反撃は包丁を握りしめ、睨み付けて父に向けた。

「出来もしないくせに!やってみろよ!ほらほらー!」みたいな感じで煽られて私は結局泣きながら包丁を置いた。

経済力がなかったから頼るしかなかったけど、植え付いた嫌悪感は何年経ったって消えるわけはなくて、私は父の日も母の日も贈り物も電話もしない。

躾方に悪気がないから私のことを大好きだと思っている横暴なモンスターにこれ以上責められたくなくて最低限の良い子でいる、それが帰省の理由。

 

母と毎日言い争いをしていた小学生時代、怒りと悔しさで泣く私には過呼吸がセットだった。

それはごく当たり前の自然現象で心配されたことはないし自分でも重症とは認識していなかった。

呼吸がうまく出来なくなって手足が痺れて頭がぼーっとする、それが日常。

鬱でその症状出てもあるのは懐かしさ。

 

知識が増えて、幸せな家庭を知って、やっと色んなことを察したよね。

今日もいつも通り嫌味を言い合いながら一緒に暮らす両親の会話を聞いて「ここにいたら私は腐る」と改めて思った。

結婚や家庭を持つことに憧れを抱かなかったのは間違いなくコレが基盤にあったから。

現実逃避しか楽しみがなかった。

 

悪いことをした時の叱り方の中で、育児ストレスから来る人格否定が多かったのだと思う。

否定された言葉は覚えていないけど、否定されて来た感覚はずっと消せなくて、学校でも何か話題や面白いことを提供しないと価値を見出せなくなった。

「◯◯するから仲良くして欲しい」は虐待児の典型思考。

というか虐待されてた自覚ってほぼなくて苦痛な子供時代だったくらいにしか思ってなかったけど、日常的に殴られていたわけではなくてもこれはこれで立派な虐待よね。

小さい頃はパンツ脱がされてお尻叩かれるのが当たり前の折檻だったし。

あとは靴を履かせて貰えないまま玄関閉めだされるとかね。

 

彼氏と親について話していた時、互いに親の抑圧を受けて来た憎しみが消えず可能な限り関わらずにいたいという価値観の一致を確認した。

思い出して辛くなって私は俯いて喋れなくなってしまったけど、境遇が似ていてこういう負を分かち合える人は互いに強引なことをしないから嬉しかったし安心したんだ。

彼の場合はそれに加えてお兄さんが優秀過ぎて常に比べられて劣等感を刺激されていたようで、お兄さんは京大特待生だそう。

でもお兄さんも一流企業を早々に辞めてシステムの道でマイペースに働いてるらしいので、彼らの親の抑圧の強さは何となくお察し。

 

私は彼よりずっと早くうつを経験したけど、彼がここまで病んだ自覚なく生きてこれたのは親元を離れてからの人に大きな敵がいなかったからだろうな。

元気に生きて私と出会ってくれてありがとう。

 

精神疾患にかかる人の多くはこうして家族関係にトラウマがあって、何かしないと自信を持てないことや自分を愛せないこと、努力によって他者に評価されることでしか自分を認めてあげられなくなる。

なのに鬱になれば何も出来なくなって自責も他責も増えるし、価値を上げるのも自愛も相当難しい。

彼は自分を愛して欲しくて好きな人に出来る限り尽くそうとするし、私もまた同じ。

お互い過去の恋愛も相手からの愛不足を自分の価値のなさと感じて別れたり熱量の差に破局することが多かったみたい。

だから彼との共依存は私にとって探し求めていた愛の形だったのかもしれないと思う。

 

寝ようとすると感情が押し寄せる。

彼氏への愛しさも雑対応して悲しんでるであろう親への罪悪感と憎しみと、一気に込み上げて呼吸がうまく出来なくなる。

起きてる間元気で友達と雑談を楽しんでほっこりしてたのに、突然パンドラの匣が開いてしまう。

なのにスマホを持つと一瞬で呼吸は整う不思議。

躁鬱の頃も似た現象があって、寝ようとすると泣いたり感情が乱れるのにスマホを手に取るだけで落ち着いて、また置くとすぐ乱れて、まるで抱いてないと泣き出す赤ちゃん。
わざとなのかってくらい明確に落ち着きが変わるのが自分でも不思議過ぎる。

彼はスマホを怖がって手放すけど、私はこれに依存していて落ち着く。

どちらもただの機械ではなくて「そこに人がいる」っていう誰かに向き合うことを意識するゆえの感覚。
私のはきっと理性の権化。

パンドラの鍵をかけられる魔法のアイテムなんだと思う。

 

強いストレスを感じると叫びたくなるし実際に叫ぶこともある。

そこに言語はないけど自分の中に溜め込んで置けない「放出欲」だけがある。

でもTwitter画面を開けば気持ちを言語化出来て思考整理がついていくから混乱しないし強引に叫びで押し出さなくても綺麗に放出が出来る。

指でアウトプットしながら目でインプットもしてる。

情報を受け取る脳の動きに私は理性が働くのかもしれない。

感情を外に「出そうとするけど出て行かない」「うまく出ていかなくて渦巻いている」と発狂しそうになるのかも。

分析して対策出来るようになりたい。

 

部屋を暖めて薬を飲んで、意識がふわふわするの待ち。

そろそろ本当にちゃんと寝たい。

実家に薬持って行き忘れてたじんましんが今日は全身に出てしまった。

寝れますように寝れますように寝れますように。