まっすぐな視線

鬱彼氏とのお付き合い日記

0110 聖なる嘘

生理12日目。

出血が落ち着く様子はなく子宮痛くて悶絶すること多々。

メンタル絶不調で1日20時間近く寝て、起きてる間も気を紛らわすのしくじると大声あげて泣いてしまうくらい弱っている。

 

彼氏も辛いからこそと耐えていたけど、LINE画面あちこち開いていたら彼氏がプロフの背景画像を変更してるのを見つけてしまって、行動力を感じて胸騒ぎ。

「手紙ありがとう」の連絡をくれた5日後で、私が不安定なことを告げる前なので嘆く必要はないけど「読んでくれてありがとう」は未読無視だし、ずっと携帯手放してる訳じゃなさそう。

カメラロールにあった過去の写真に変えただけかもしれないし、冷静に考えてもう発症から4ヶ月近く経つのだから飲みにくらい行けても不思議じゃないし、ついに私も「放置されたまま黙って彼が動き出している」っていう経験値を積む域に来たんですかね、、

 

「私はあなたのためにこれだけ我慢して無理して優しくしてあげているのに」って思ったらその時点で愛じゃないんだろうな。

「心から回復を願って出来ること全てしてあげたい」って純粋に思っていた気持ちを思い出したい。

でも自分の体調が悪いと難易度があがるね。

 

彼は今も私を大切に思っているのかな。

こちらは寝ても覚めても彼を想って愛しさを募らせているのに、彼からは何も感じない日々は余程の盲信がなければ自信を失う。

鬱彼界隈の音信不通に苦しむ人たちは過去の音信不通を経て会える期間があった人が何人かいるけど、1度も乗り越えた実績のない私たちは彼の恋心って一時の気の迷いでもうとっくに消えてるんじゃないかって不安になる。

ご褒美が欲しいよ。

 

以前見た『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』というナチス映画を思い出した。

第二次世界大戦中の「未来が見えなくて不安定な生活」の中、ラジオを聞き間違えて勝利の気配を勘違いし、未来は明るいよってデマ情報が拡散されて信じる人で溢れると皆活気付いて笑顔で暮らすの。

でも嘘だと分かって不幸を悟ったら、生活状況は同じなのに事実確認もせず自殺者が続出する話。

 

不安って容易く心身を支配して悪い方へ引きずろうとするけど、事実確認する前に絶望するのはよくないって思い出した。

諦めるのはいつでも出来るから、強く希望を握り締めることが出来なくてもいい、最悪の状況を想像して早くから自分を蝕む必要はないんだ。

己との戦いは厳しいけど今負けなくていい。

 

こないだ見た『バンビ』の映画でも、猟師から身を潜めて草むらでじっとする鳥たちのシーンが印象的で。

皆にじっとしてと言われても不安が爆発して逃げ出そうと飛び立った一羽が撃たれちゃうの。

恐怖と不安に打ち勝つことが生き延びる術なのかもね。

 

誰よりも縋りたい彼氏には見向きもされず、唯一心を開いて信頼してた友人は敵と認識して相談相手を失い、病識のない仲良しの友人たちは毎日楽しそうで気を遣わないと接する勇気が持てなくて、SNSでただポロポロと心の内を吐き出すことしか出来ない孤独感。

自殺する勇気があるなら周りに助けを求めろとは言うけど、希死念慮の重さを誰が助けてくれるというの。

自殺防止センターは無知ボランティアの役立たずで悪評リプが後を立たないレベルだし、職場で病んでた子が上司に泣き付いたらそのメール皆に見せて笑い物にしてた。

救いなんてどこにもない。

 

空襲が常に襲い掛かっている緊迫状態だから防空壕へ避難してじっとしている、そんな日々です。

考えたら負け。

心を無にして時間を過ごすことが最善と捉えて刺激を遮断するのが身を守る術なんだろうなって。

吐き出したいことも伝えたいことも突き詰めて考えたいこともやりたいこともたくさんあるのに、きっとそれに手を出したらまた壊れたように泣いて錯乱しそうで。

それでもずっと悲しいことや悔しいこと許せないことが頭の隅にこびりついて剥がれない。

なるべく意識を向けないように考えないように、楽しくなくていいから少しでも死にたい気持ちでいっぱいにならないように。