0227 病気である安心感
歯医者に行くのが億劫でゴロゴロしていたら、そのうち「行かなきゃの呪縛」に変わって不安発作が起きた。
それを「行きたくない正当な理由が出来た」と心のどこかで安心してしまってよくないことだなと反省した。
躁鬱だった頃、最初3つかかった病院では病名を貰えなかった。
自分が人間の形をしているのが許せなくてぐちゃぐちゃになりたかったくらい正常な思考じゃなかったのに。
初診で病名をつけるのは義務なんだけど、鬱と類似の病気は判断が難しいので医師は基本的に患者に明確な病名を告げないのだ。
特に躁鬱の疑いがあるけど躁が明確でない場合。
鬱症状は素人にだって分かりやすいけど、それを含む病名は1つではない。
でも当時の私は病名なしに通院するのが辛かった。
医師は「症状があってそれにあった薬を飲むんだから成り立ってるじゃん」と言ったけど、1人で喚いて公式に認可されない「鬱もどき」が嫌だった。
医師にこれは病気だと認めて欲しかったし、病気なら症状が出ると納得出来たのに私には何もない。
だから4つめの病院に転院してやっと診断が降りてホッとして、自分の病気に向き合って治そうと思えたところがある。
医療期間が認めてくれないものは自分でも認められない。
発作が出ても鬱症状を怠けかもしれないと怯えていたけど、そうじゃなくて病気なんだって自認出来るのは安心材料になって自分を責めずにいられた。
今の適応障害は語弊があるかもしれないけど割と心地がいい。
鬱症状があるけど元気に遊びまわれることもある、という病気。
実際はその説明は鬱病でも躁鬱でもあてはまるけど、鬱病は遊びまわれるのはおかしいイメージが付きまとうし自分の波を受け入れづらい。
その点適応障害は自分を受け入れるには楽なのかもしれないなと思う。
周りからサボってるだけに見られそうという心地悪さはあるけれど。
頑張って行った歯医者でも動悸がした。
科を問わず郵便局もだけど待合室に感じる恐怖って何なんだろな…座ってるだけなのに心臓バクバクになる😖
問診票にメンタルのことも書いて「穏やかに話してくれると助かります」とお願いした通りにしてくれてたけど、先生との会話も辛くて意識薄れて目を開けてられなかった💦
ストレスを感じるとやっぱ眠気くるんだな…。
友達と喋るのは短時間なら平気だけど1回の会話が長いと集中力が切れて目が開けていられなくなってしまうことが度々ある。
家にいて発作が落ち着いても呼吸が深い。
ベッドに横たわってるから負担を感じづらいけどそれでも目を開けてるの辛くなるんだから、多分起き上がってたら倒れそうな感覚なんだろな。
今日は久々に色んな症状が出てぐったりしたけど、お薬飲んだら久々に空腹が凄い。
鬱症状が重い分だけ効果を感じる仕組みなのかなー…。
不安定だ。