まっすぐな視線

鬱彼氏とのお付き合い日記

0411 報復だけは許さない

鬱彼に対してはまぁまぁ酷い扱いを受けているとは思う、一般恋愛で考えれば。

何を送っても無視だとか、長期の音信不通とか、彼女側が不満を抱くのも無理はない。

だけどそれに対して怒りの感情を持つ人は理解不足だと感じるし、私の個人的な感覚として「可哀想でないと共感できない」という価値観があるから、病んだ彼氏の気持ちに寄り添わず自己主張を爆発させる人に対しては同士の感覚はなく敵認識すら生まれてしまう。

 

よくあるイジメものの作品なんかもそう。

いじめられてる主人公の描写に対しては感情移入出来て可哀想と思えるけれど、突然報復物語に切り替わると私はそこに爽快感はなくて興味を失ってしまうし残念に思う。

報復を楽しいものとして描かれることに激しい嫌悪感が芽生える。

それはきっと私は「忍耐側の経験」が色濃いから、その苦痛を思えばこそ攻撃する者を許せないんだと思う。

 

でも愚かなことに攻撃ってしてる自覚なくしてることが多くて、だからいじめっ子も絵に描いたようなものでない限り自分がいじめてるなんて思ってないことは多いっていう。

私も「鬱病の人に怒るなんて自分のことしか考えてない」と怒ってる人を責めてしまうけど、それ自体が攻撃になっているんだよなぁと自省もした。

 

人の生き方にケチをつけるのはナンセンスだけど、鬱病に理解のない発言をされると自分が攻撃されている気になるのは当然で、悲しくなるし、一瞬で心を閉ざすし、相手を敵視してしまうんだ。

 

鬱の彼に寄り添いたいと頑張っていた彼女さんたちの中には、次第に我慢の限界を超えて怒りや不満を爆発させ、普通の恋愛を求める思考しか持てなくなる人が出てくる。

「私は話を聞いて欲しいのに拠り所がない、彼氏として機能してない」とか「不満のひとつも言っちゃいけないのか」とか「会ってもごはん食べて一緒に寝転がるだけで体の関係を持てないなら付き合ってる意味がない」とか「プレゼントあげてばかりでお返しないのムカつくからもうあげない」とか。

したくないことを無理に「してあげる」必要はないけれど、そこに怒りが生じて報復のようにぶつける人とか、例えぶつけなくても抱くだけでも私は生理的に嫌で。

 

私も唯一彼に怒りを感じたのは私の誕生日デートがポシャった時。

彼に出来ることと出来ないことが分からな過ぎて、絶対会わないスケジューリングを作られていたことにショックを受けた怒りだった。

それでも必死に本人には伝えないよう我慢したし、理解が追い付いた翌日には罪悪感で潰れそうになって、それ以来彼に怒りの感情は持っていない筈。

 

私は嘘がつけず気持ちが透けてしまう。

まっすぐでありたいと思ってるから、濁ったものは持ちたくない。

彼の前でだけ嘘ついていい子でいて、裏では自分のご機嫌取りの為に毒吐きするっていうタイプにはなれないしなりたくもない。

 

でも、生存確認の時に書いた「潜んでいた怒り」みたいのはきっとあるから、怒っている人への羨望や嫉妬心が実はあるから不快に思うのだろうか。

醜い感情を疎み、それが自分の中にもあるのかもしれないと思うと益々嫌悪感が増した。

優しくありたい。

穏やかに愛しく思っていたい。

まっすぐに、透明に、大好きでありたい。